生島足島神社の深層|日本中央の由緒と信玄起請文の謎を追う
生島足島神社の深層|日本中央の由緒と信玄起請文の謎を追うの全貌を丁寧に掘り下げてご紹介します。
信州屈指のパワースポットとして名高い生島足島神社ですが、歴史ファンにとって最大の関心事は、境内に残る武田信玄ゆかりの「起請文(きしょうもん)」です。現在、国の重要文化財に指定されているこの古文書群は、合計83通(84枚)現存しており、戦国武将たちの切迫した心理を現代に伝えています。
永禄10年(1567年)、信玄の嫡男・武田義信による謀反未遂事件(義信事件)が勃発。家中が激しい動揺と疑心暗鬼に包まれる中、信玄は領内の将兵や信濃国衆に対し、自身への絶対的な忠誠を誓う起請文の提出を命じました。その奉納先として選ばれたのが、他ならぬ生島足島神社でした。
なぜ信玄は数ある寺社の中からこの神社を選んだのか。当時の宗教観において、生島足島の大神は「大地を司り、偽りを決して許さぬ神」として絶大な畏怖を集めていたからです。神前で偽りの誓いを立てれば、即座に大地の神罰が下ると信じられていました。現存する起請文には、熊野牛王符の裏面に血判や署名が記されており、乱世を生き抜く武将たちの張り詰めた覚悟と生々しい筆致が刻み込まれています。