ナンシー久美とダンプ松本の絆|確執説の裏に秘められた全女哀歓

ナンシー久美とダンプ松本の絆|確執説の裏に秘められた全女哀歓を徹底追究! 読者が気になる 情報と解説を分かりやすく展開します。

映像作品『極悪女王』が配信された際、視聴者の間で「ナンシー久美はなぜ途中で退場したのか?」「ダンプ松本が台頭したとき、ナンシーはどこにいたのか?」というタイムラインの混乱が見られた。ここには、昭和プロレスファン以外にはあまり知られていない歴史的なすれ違いが存在する。

最大の盲点は、「ダンプ松本が『極悪同盟』として社会現象を巻き起こした1984〜1986年には、ナンシー久美はすでに全日本女子プロレスのリングを去っていた」という事実だ。ナンシー久美が引退試合を行ったのは1983年8月・大田区体育館。当時のナンシーはまだ22歳という若さだった。全女には悪名高い「25歳定年制」(実際には20代半ばまでに会社が後進に道を譲らせる暗黙の不文律)が存在したが、ナンシーの場合は会社の強制ではなく、本人の自立的な決断による早期リタイアだった。

ナンシー久美の引退理由は、長年の過密巡業による膝や首の慢性的な負傷の蓄積に加え、「女子プロレスラーとしての完全燃焼」だった。すでにビューティ・ペアの解散劇を見届け、自らもゴールデン・ペアとして頂点を極め、ミミ萩原やジャガー横田らとの激闘を完遂したことで、次代のレスラーたちにバトンを渡す潮時を悟っていたのである。ナンシーが去った直後の1983年秋から1984年にかけて、松本香代はメイクを施し「ダンプ松本」へと豹変した。つまり、2人がリング上で直接しのぎを削った期間は、松本がまだ覚醒途中の前座・中堅レスラーだった短期間に限られている。

山下 哲也

山下 哲也

自動車・モビリティライター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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