キングダム山の民の史実と楊端和の正体!史記が暴く男説と西戎の真相

今注目を集めている キングダム山の民の史実と楊端和の正体!史記が暴く男説と西戎の真相について、詳しいまとめを整理して公開しています。

『キングダム』読者に最も強い衝撃を与える歴史的事実が、作中で妖艶かつ苛烈な美貌を誇る「山界の死王」楊端和の性別と素顔です。歴史書『史記』の記述詳細を精査すると、楊端和が女性であった、あるいは山の民を束ねる王であったという記録は一行たりとも存在しません。

前漢の歴史家・司馬遷が編纂した『史記』において、楊端和の名が登場するのは「秦始皇本紀」および「廉頗・藺相如列伝」などの限定的な戦歴記録です。中国の正史において女性が軍を率いて出陣した場合、極めて特異な事象として「婦人」「女」と特筆されるのが通例ですが、楊端和に関する記述は王翦(おうせん)や桓騎(かんき)、蒙驁(もうごう)といった他の男性将軍と全く同じ形式で並列して記されています。

古代中国の社会構造および軍事制度から見ても、当時の秦軍総司令官クラスに女性が就任したとは考えにくく、歴史研究者や東洋史専門家の間では「楊端和は実在の秦国の男性武将」というのが動かしがたい共通見解となっています。

では、史料に残る楊端和の功績とは一体どのようなものだったのでしょうか。記録されている主な軍事行動は以下の3点に集約されます。

  • 紀元前238年(始皇9年):魏の衍氏(えんし)を攻め落とす(『史記』秦始皇本紀)。
  • 紀元前236年(始皇11年):王翦・桓騎とともに趙の鄴(ぎょう)周辺の九城を攻略。
  • 紀元前229年(始皇18年):河内の兵を率いて趙の首都・邯鄲(かんたん)を包囲。翌紀元前228年に王翦や羌瘣(きょうかい)らとともに趙を滅亡に追い込む。

作中では「山界の死王」として山岳部族の盟主君主として君臨していますが、史実における楊端和は、秦の正規軍を統率して敵国の要衝を次々と陥落させた超一級の武将でした。紀元前229年の邯鄲包囲戦においては、秦軍の主力別働隊を率いる極めて重い役割を担っており、嬴政の中華統一事業における最大の武功軍団の一角であったことは紛れもない事実です。

鈴木 陽菜

鈴木 陽菜

テックライター兼ウェブディレクター

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest