新選組参謀・伊東甲子太郎暗殺の真相と油小路の変の全貌

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慶応3年(1867年)3月、孝明天皇が崩御した直後、伊東甲子太郎は乾坤一擲の行動に出ます。孝明天皇の御陵(墓所)を守護するという名目を掲げ、朝廷の認可を取り付けて新選組からの分離独立を断行したのです。こうして結成されたのが「御陵衛士(ごりょうえじ)」、通称・高台寺党でした。

新選組には「脱走者は即座に切腹」という極めて厳しい鉄の掟(局中法度)が存在していましたが、伊東は朝廷直属の衛士拝命という錦の御旗を立てることで、近藤・土方に手出しをさせず合法的に組織を離脱することに成功しました。このとき、伊東の志に共鳴した幹部の藤堂平助、実弟の鈴木三樹三郎、槍術の達人・服部武雄、篠原泰之進ら実力派隊士14名が行動を共にしています。

御陵衛士が掲げた真の目的は、単なる天皇陵の警護ではありませんでした。京都・東山の月真院を拠点とし、薩摩藩や長州藩の志士たちと公然と接触を持ちながら、朝廷主導の新たな政治体制(大政奉還)の実現に向けて周旋活動を展開することにありました。伊東は自らの政治的ビジョンを朝廷に建白書として提出するなど、幕末の政局を動かすキーマンとして急速に台頭していったのです。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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