ビリー・ジョエル『オネスティ』日本だけ異例ヒットの真相と誕生秘話
ビリー・ジョエル『オネスティ』日本だけ異例ヒットの真相と誕生秘話を徹底追究! 読者が気になる 重要ポイントを分かりやすく展開します。
アメリカと日本における『オネスティ』の評価の違いは、洋楽マーケティング史上でも屈指の研究対象です。グラミー賞最優秀アルバム賞を獲得した名盤『ニューヨーク52番街(52nd Street)』(1978年)からの第3弾シングルとしてカットされた本作ですが、日米両国の商業データには驚くべき温度差が存在します。
アメリカで本作がトップ10入りを逃した要因は、当時のラジオ局の編成事情にあります。1979年のアメリカ音楽市場はディスコブームの絶頂期であり、ラジオではダンサブルで軽快なトラックや、同アルバムなら『マイ・ライフ(My Life)』(全米3位)のようなポップロックが好まれました。内省的で重厚なスローバラードは、ドライブ中に聴く全米ラジオのフォーマットに合致しにくかったのです。
一方、日本市場では正反対の現象が起きました。当時爆発的な普及を見せていたオーディオコンポやカセットテープの市場において、「ビリー・ジョエル×オネスティのCMソング起用」が決定打となります。1979年に放映されたソニーのオーディオCMは、ビリー本人の洗練された都会的なビジュアルと哀愁漂うピアノの旋律が完璧にシンクロし、お茶の間に強烈なインパクトを与えました。洗練された都会の孤独と切なさを求める日本のリスナーの感性に、寸分の狂いもなく刺さった瞬間でした。