笹子隧道の現在と歴史を追う|心霊の真相から通行止めの実態まで
笹子隧道の現在と歴史を追う|心霊の真相から通行止めの実態までに関する専門家の意見を詳しく解説いたします。
東京と甲府を結ぶ甲州街道において、標高1,050メートルを超える笹子峠は、急峻な峠道と深い霧、冬期の積雪に阻まれる最大の難所でした。明治天皇の巡幸を機に改修が進められたものの、明治から大正にかけての自動車交通の発展に伴い、抜本的な交通インフラの近代化が急務となった経緯があります。
そこで山梨県が威信をかけて建設したのが、現在「旧笹子隧道」と呼ばれる笹子隧道です。1936年(昭和11年)に着工し、1938年(昭和13年)に完成。全長239メートル、幅員3.0メートル、高さ3.4メートルという規模は、当時の山岳道路用トンネルとして画期的なものでした。この開通によって、それまで何時間も要した峠越えが劇的に短縮され、山梨と東京を結ぶ物流の大動脈として機能し始めました。
建築史の観点からも、笹子隧道のポータル(抗口)は極めて高い意匠性を誇ります。坑門にはコンクリートと石材を組み合わせた重厚なアーチ構造が採用され、頂上部の笠石(かさいし)や帯石(おびいし)の端正な造形は、当時の土木技術者の誇りを感じさせます。高度経済成長期の1958年に新笹子トンネル(現・国道20号バイパス)が開通したことで本線の座を譲りましたが、その歴史的価値が認められ、1997年(平成9年)に国の登録有形文化財に登録されました。