横浜寿町は本当に危険?「行ってはいけない」噂の真相と現在の姿を徹底解説
横浜寿町は本当に危険?「行ってはいけない」噂の真相と現在の姿を徹底解説の基礎知識と応用に迫る! 専門的な視点で紐解きます。
寿町が「ドヤ街」として形成された背景には、戦後横浜の復興と高度経済成長期の歴史が深く関わっています。もともと米軍による接収地であったこの土地が返還された後、1950年代半ばから横浜港の港湾荷役労働者や建設作業員を収容するための簡易宿泊所が集積していきました。
最盛期の1970年代から1980年代にかけては、約300メートル四方のエリアに250軒以上の簡易宿泊所がひしめき、日本中から集まった約1万人近くの屈強な単身男性労働者で溢れ返っていました。毎朝未明から日雇い労働の求人(手配師によるアブレ手当のやり取りなど)が行われ、酒と賭博、時には警察との衝突(暴動)が発生するほどエネルギーに満ちた街でした。
転機が訪れたのは1990年代初頭のバブル崩壊です。公共事業の激減と港湾作業の機械化(コンテナ化)によって日雇い仕事が消失。仕事を失った労働者たちはそのまま寿町に留まり、急速に高齢化していきました。その結果、寿町は仕事を求めて人が集まる街から、生活保護と医療・介護サービスによって余生を支える福祉の街へと劇的な舵を切ることになったのです。