富士山は何県にある?県境が存在しない衝撃の理由と私有地の真相

富士山は何県にある?県境が存在しない衝撃の理由と私有地の真相について見逃せない 理由を厳選して解説いたします。

富士山頂に境界線が引かれていない背景には、明治維新以降に繰り広げられた熾烈な行政区域争いと、江戸時代以前からの入会権(いりあいけん)をめぐる複雑な対立構造が存在します。幕藩体制下では、富士山は特定の領主に属する世俗的な土地というよりも、修道僧や庶民が参拝する神聖な信仰の場として扱われており、厳密な境界線を引く実益自体が希薄でした。

事態が一変したのは明治時代です。明治新政府による廃藩置県と地租改正に伴い、土地の境界確定と納税主体の特定が不可避となりました。1883年(明治16年)、当時の内務省地理局は静岡・山梨両県に対し、山頂における境界の取り決めを行うよう通達を出しました。しかし、山梨側が「山頂の火口底を通る直線」を主張したのに対し、静岡側は「登山道の起点や信仰の歴史的拠点」を根拠に譲らず、協議は暗礁に乗り上げました。

さらに昭和に入り、観光開発や税収、電波塔・観測施設の設置などをめぐって利害対立が再燃します。1951年(昭和26年)には両県知事や関係市町村長による協議会が持たれましたが、妥協点は見出せませんでした。最終的に「明確な境界線を一本引いて遺恨を残すよりは、未確定のまま両県で共有・保全する方が賢明である」という高度な政治的判断が下され、今日に至る「平和的棚上げ」が継続しています。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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