クールベ『世界の起源』なぜ描かれた?封印されたモデルの正体と検閲の真相

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制作された直後から、『世界の起源』は波乱に満ちた数奇な運命を辿ることになります。発注者のハリル・ベイがギャンブルによる巨額の負債で破産したため、絵画は1868年に競売にかけられました。その後、骨董商のアントワーヌ・ド・ラ・ロシュフコー、さらにはハンガリーの富豪フェレンツ・ハトヴァニー男爵の手に渡ります。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの略奪やソビエト赤軍による混乱のなか、ブダペストの銀行金庫から一時行方不明となりましたが、奇跡的にハトヴァニーの手元へ戻り、戦後パリへと密かに持ち出されました。そして1955年、この絵画を手に入れたのが、20世紀を代表するフランスの精神分析学者ジャック・ラカン(Jacques Lacan)でした。

ラカンとその妻シルヴィア・バタイユ(思想家ジョルジュ・バタイユの前妻)は、パリ郊外ギトリancourtの別荘にこの絵を所蔵しました。ラカンはこの絵を極めて慎重に扱い、義理の兄弟であったシュルレアリスム画家アンドレ・マッソンに特注のカバー絵を依頼します。マッソンは『世界の起源』の輪郭線を抽象的にトレースした風景画のような二重の木枠カバーを制作し、普段はそれを重ねて絵を完全に隠蔽していました。

精神分析において「見ること(視線)」と「欲望」、そして言語化できない生々しい真実である「現実界(le Réel)」を理論化したラカンにとって、この絵画は自らの理論を具現化する象徴そのものでした。招待されたごく一部の哲学者や作家、例えばクロード・レヴィ=ストロースやマルグリット・デュラスらだけが、木枠を開けてその直視に立ち会うことを許されたのです。

1981年にラカンが世を去ると、遺族はフランスの「ダシオン制度(相続税の代わりに美術品を物納する制度)」を活用し、国家へ作品を寄贈しました。厳重な修復と議論の末、1995年にオルセー美術館でついに一般公開が実現したのです。制作から実に129年を経て、絵画は初めて大衆の白日の下に晒されることとなりました。

清水 千尋

清水 千尋

フード&トラベルライター

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。

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