御恩と奉公の仕組みと崩壊の真相|鎌倉幕府を滅亡へ導いた致命的欠陥とは
御恩と奉公の仕組みと崩壊の真相|鎌倉幕府を滅亡へ導いた致命的欠陥とはの注目されている理由を丁寧にまとめました。全体像を一目で把握できます。
教科書が語る整然とした制度の裏で、当時の現場には御家人たちの悲痛な叫びが渦巻いていました。その実態を生々しく今に伝える第一級の記録が、肥後国(熊本県)の御家人・竹崎季長(たけざき すえなが)が残した『蒙古襲来絵詞』です。
季長は1274年の文永の役において、先駆けとなって元軍の矢雨の中に突進し、重傷を負いながらも武功を挙げました。しかし戦後、幕府からの恩賞の沙汰は一切ありませんでした。合戦への出陣によって生じた莫大な借金を抱え、領地を失う危機に瀕した季長は、自らの馬や鞍を売り払って旅費を工面し、鎌倉の幕府へ直訴に踏み切ります。
『蒙古襲来絵詞』の詞書には、幕府の恩賞奉行・安達泰盛に対し、季長が詰め寄った生々しい肉声が記録されています。
「先駆けとして命を捨てて敵陣へ駆け入った私の功績が、なぜ捨て置かれるのか。恩賞がいただけないのなら、もはや生きて国へ帰ることはできません」
身ぐるみを剥がれる思いで直訴した季長は、安達泰盛の個人的な計らいによって海東郷(現在の熊本県宇城市)の地頭職と名馬を勝ち取りました。しかし、これは極めて稀な成功例に過ぎません。鎌倉へ直訴に行く旅費すら工面できず、自腹を切って防衛戦を戦った大半の御家人たちは、領地を得るどころか借金漬けになり、塗炭の苦しみに沈んでいきました。SNSやネットコミュニティで「鎌倉武士は完全なブラック労働だったのではないか」と語られる背景には、こうした史料に裏打ちされた凄惨な現場の実態が存在します。