回答兼刷還使と朝鮮通信使の違いとは?家康の外交裏面史と捕虜返還
回答兼刷還使と朝鮮通信使の違いとは?家康の外交裏面史と捕虜返還の基礎知識と応用に迫る! 専門的な視点でまとめました。
『朝鮮王朝実録』や当時の使節の日記資料を紐解くと、「刷還」の現場がいかに過酷で、人間の尊厳をかけたものであったかが生々しく伝わってきます。
使節団に先立ち、1604年には朝鮮の名僧である松雲大師(惟政・ゆじょう)が来日し、京都・伏見城で徳川家康と直談判を行いました。松雲大師は家康から平和への真意を引き出すとともに、約3,000人以上の同胞を連れ帰る道筋をつけました。この会談こそが、後の回答兼刷還使派遣の決定的な足がかりとなったのです。
しかし、実際の捕虜返還は容易ではありませんでした。日本各地の大名や商人のもとに連行された朝鮮人の多くは、陶工(焼き物職人)や学者、農民などとして日本社会に組み込まれていました。
第1回の使節(1607年)では約1,400人、第2回(1617年)では約300人が祖国への帰還を果たしましたが、日本に留まることを選んだ人々も少なくありませんでした。日本で家庭を持ち定住した者、祖国に帰っても身分制度や戦乱の後遺症で生活の術がない者など、個々人の苦悩と引き裂かれた人生のリアルが一次史料には記されています。