原爆の子の像と佐々木禎子の真実|千羽鶴が語る平和への祈りと建立の軌跡

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広島市中区の広島平和記念公園の中心近く、原爆ドームの対岸に位置する広場に立つ「原爆の子の像」。この像が誕生した背景には、1950年代半ば、原爆投下から約10年の歳月を経て表面化した「原爆後障害」の厳しい現実がありました。

像の建立の経緯の起点となったのは、1955年10月25日の出来事です。当時12歳だった佐々木禎子(ささき さだこ)さんが急性リンパ性白血病で息を引き取りました。彼女の早すぎる死に直面した幟町中学校の同級生たちは、深い悲しみに暮れながらも「禎ちゃんをはじめ、原爆で亡くなったすべての子供たちのために慰霊碑を作りたい」という強い思いを抱きます。

同年11月、子どもたちは「広島平和をきずく児童生徒の会」を結成。全国の小・中・高校へ手紙を送り、募金を呼びかけました。この運動はメディアを通じて瞬く間に全国へ波及し、日本国内約3,200校以上の学校や民間団体、さらには海外からの寄贈を含めて約540万円(当時の貨幣価値で現在の数千万円規模)の浄財が集まったのです。

彫刻家の菊池一雄氏によって制作された像は、1958年5月5日の「こどもの日」に除幕式を迎えました。子どもたち自身の手で企画され、子どもたちの小遣いや寄付で建てられたモニュメントは、世界的に見ても極めて異例かつ象徴的な存在です。

中村 さくら

中村 さくら

マネー&キャリアエディター

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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