『地獄の黙示録』狂気の撮影秘話と難解な結末の真相|名作の裏側を解剖

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本作の製作過程は、映画史上で最も呪われ、最も過酷を極めたプロジェクトとして記録されています。当初約1200万ドル、撮影期間約16週間(4ヶ月)と見積もられていた計画は、最終的に約3100万ドル(現在の貨幣価値換算で約1億5000万ドル以上)に膨れ上がり、フィリピンのジャングルでの撮影日数は400日以上(約1年半)にも及びました。

現場を揺るがした最初の悲劇は、主役ウィラード大尉の交代劇でした。当初キャスティングされていた実力派俳優ハーヴェイ・カイテルは、撮影開始からわずか数日でコッポラが求めるキャラクター像との乖離を理由に電撃解雇されます。急遽代役に抜擢されたのがマーティン・シーンでした。しかし、高温多湿の過酷なジャングルと極度の重圧、重度のアルコール依存が彼を容赦なく蝕みます。冒頭のサイゴンのホテルで泥酔し、鏡を叩き割って血を流しながら号泣するシーンは、演技ではなくマーティン・シーン自身の精神的崩壊を記録した本物のドキュメンタリー映像でした。

撮影半ばには、マーティン・シーンが重度の心筋梗塞(心臓発作)を起こして昏倒。現地の道路状況の悪さから神父を呼んで終油の秘蹟(臨終の祈り)が捧げられるほどの生命の危機に瀕し、製作現場は凍りつきました。映画の中止を恐れたコッポラは、この事実を外部メディアへ「極度の熱中症」と偽って発表させ、彼が療養している間は実弟のジョー・エステベスをスタンドイン(影武者)に立てて撮影を強行しています。

さらに自然の猛威が追い討ちをかけました。1976年5月、観測史上最大級の超大型台風「オルガ」がルソン島を直撃。精巧に建造されていた巨大プレイメイトステージや軍事基地のオープンセットが跡形もなく壊滅し、撮影は数ヶ月の中断を余儀なくされました。巨額の追加資金を調達するため、コッポラは自身の家財、ブドウ園、映画の著作権など全財産を担保に設定。「完成しなければ一家もろとも路頭に迷う」という極限状態に追い込まれた監督は、撮影期間中に約45キロも体重を激減させ、妻エレノア・コッポラの手記や当時のメイキング映像(後のドキュメンタリー映画『ハーツ・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』)にある通り、「自分は狂気に囚われている。幾度も拳銃自殺を考えた」と告白するほど精神の限界を迎えていました。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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