なぜ米田哲也は通算350勝できたのか?「ガソリンタンク」伝説の真相
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1956年に阪急ブレーブスへ入団した米田は、高卒1年目から頭角を現し、左腕の梶本隆夫とともに「ヨネカジコンビ」として黎明期のチームを力強く牽引した。1968年にはチームをリーグ優勝へ導きシーズンMVPに選出。1971年10月2日の西鉄ライオンズ戦では見事にノーヒットノーランを達成している。
米田のピッチングを語る上で欠かせないのが、自ら編み出した魔球「ヨネボール」の存在だ。フォークボールの握りから鋭く打者の手元で沈むシンカー系の変化球であり、現代のスプリットや高速チェンジアップに近い威力を誇った。剛速球とヨネボールのコンビネーションは、並み居るパ・リーグの強打者をことごとく手玉に取った。
1975年シーズン途中には阪神タイガースへ移籍。甲子園球場のマウンドでも存在感を発揮し、同年8月には阪神のユニフォームを着て通算350勝の金字塔を打ち立てた。その後、近鉄バファローズへ移籍し、1977年に現役を退くまで投げ続けた。