藤間紫の若い頃の写真と壮絶な愛の軌跡|猿之助との真相と家系図
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藤間紫の人生における最大の試練は、最初の夫であり舞踊の師匠であった六世藤間勘十郎との離婚劇でした。23歳という親子ほど年の離れた師匠との結婚は、戦前の伝統芸能界における典型的な家制度の産物でもありました。しかし、芸に対する自我が強く、自立した表現者を志した紫にとって、封建的な宗家の枠組みと夫への精神的従属は耐え難いものとなっていったのです。
猿之助との同棲開始後、紫は勘十郎に正式な協議離婚を申し入れましたが、勘十郎側はこれを断固拒否。家元の権威とメンツ、そして紫の舞踊家としての才を惜しむ感情が複雑に絡み合い、事態は家庭裁判所での調停から前代未聞の長期裁判闘争へと発展しました。この法廷闘争は実に16年間にも及び、双方の主張が真っ向から対立する泥沼劇として連日のようにワイドショーを賑わせました。
1985年、最高裁まで争われた末にようやく離婚が成立した際、彼女が得たのは「自由」と同時に「宗家からの完全な追放」でした。名門の看板を剥奪された彼女でしたが、一切の弱音を吐かず、1987年に自らを家元とする「紫派藤間流」を旗揚げします。血縁や伝統の権威に頼らず、自らの芸と求心力だけで一派を創流したこの決断は、当時の男尊女卑が色濃く残る芸能界において極めて革命的な事件でした。