上皇后美智子さまの現在と仙洞御所の日常|骨折からの回復と歩み

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上皇后美智子さまの原点を振り返る上で欠かせないのが、その卓越した生い立ちと、1959年(昭和34年)の歴史的なご成婚です。

日清製粉創業家・正田家の長女としての誇りと教養

美智子さまは、日清製粉グループの創業者一族である実業家・正田英三郎氏と富美子ご夫妻の長女として誕生されました。東京都品川区東五反田(現在の「ねむの木の庭」)で育ち、聖心女子大学文学部外国語外国文学科を首席でご卒業。学生時代から英語に堪能で、豊かな教養と気品、そして強い自律心を身につけられていました。

1957年(昭和32年)夏、長野県軽井沢のテニスコートで行われたトーナメントで、当時皇太子であられた上皇さまと運命的な出会いを果たされます。いわゆる「テニスコートの出会い」から始まった純愛は、旧華族・皇族以外の一般民間人から初めて皇太子妃を迎えるという、近代皇室史上最大の転換点となりました。

ミッチー・ブームと「ナルちゃん憲法」による育児改革

1959年4月10日に行われたご成婚パレードには、沿道に53万人もの市民が詰めかけ、テレビの普及率を一気に押し上げる社会現象「ミッチー・ブーム」を巻き起こしました。

皇室に入られた美智子さまが成し遂げた最大の功績の一つが、「皇室の家族像の近代化」です。それまでの皇室では、誕生した皇子は生後まもなく養育係に預けられ、親元を離れて育てられるのが数百年続く慣習でした。しかし美智子さまは自らの手で母乳を与え、子供たちを自らの元で慈しみ育てることを決意されます。

浩宮さま(現在の天皇陛下)をご養育される際、外遊中に侍従や養育係へ託された詳細なメモは、後に「ナルちゃん憲法」として広く知られることとなりました。「1日に一度はしっかり抱きしめてあげること」「身の回りのことは自分でさせ、特別な人間だと思い込ませないこと」など、愛情と自立を両立させた育児方針は、戦後日本の一般家庭における子育て観にも絶大な影響を与えました。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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