エカチェリーナ2世の真相|クーデター・愛人伝説と壮絶な死因を解く
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1762年1月、エリザヴェータ女帝の崩御に伴い、ピョートル3世が皇帝に即位します。しかし、彼の治世はわずか半年(186日)で終焉を迎えることとなりました。失脚を招いた最大の原因は、ロシアの国益と誇りを踏みにじる致命的な外交・内政判断にありました。
当時、ロシアは七年戦争において宿敵プロイセンを壊滅寸前まで追い詰めていました。ところが、プロイセン国王フリードリヒ2世を狂信的に崇拝していたピョートル3世は、即位するやいなや一方的に全占領地を無償返還し、単独講和を結ぶという暴挙に出たのです。血を流して戦ったロシア近衛軍将校や貴族たちは激しい屈辱感と憤怒に包まれました。さらに、ロシア正教会の財産没収を強行し、プロイセン風の軍服を強制したことで、国内の支持基盤を完全に失っていきます。
夫からの冷遇と修道院への幽閉の危機を察知したエカチェリーナは、機先を制して行動を起こします。その中心となったのが、彼女の愛人であったグリゴリー・オルロフをはじめとする屈強なオルロフ兄弟でした。
クーデター当日、エカチェリーナは近衛兵の軍服に身を包み、自ら白馬に跨って軍の先頭に立ちました。この圧倒的なカリスマ性と行動力によって、流血を最小限に抑えた電撃的な権力奪取を成功させたのです。