エカチェリーナ2世の真相|クーデター・愛人伝説と壮絶な死因を解く

今注目を集めている エカチェリーナ2世の真相|クーデター・愛人伝説と壮絶な死因を解くについて、多角的な視点をご紹介しています。

1762年1月、エリザヴェータ女帝の崩御に伴い、ピョートル3世が皇帝に即位します。しかし、彼の治世はわずか半年(186日)で終焉を迎えることとなりました。失脚を招いた最大の原因は、ロシアの国益と誇りを踏みにじる致命的な外交・内政判断にありました。

当時、ロシアは七年戦争において宿敵プロイセンを壊滅寸前まで追い詰めていました。ところが、プロイセン国王フリードリヒ2世を狂信的に崇拝していたピョートル3世は、即位するやいなや一方的に全占領地を無償返還し、単独講和を結ぶという暴挙に出たのです。血を流して戦ったロシア近衛軍将校や貴族たちは激しい屈辱感と憤怒に包まれました。さらに、ロシア正教会の財産没収を強行し、プロイセン風の軍服を強制したことで、国内の支持基盤を完全に失っていきます。

夫からの冷遇と修道院への幽閉の危機を察知したエカチェリーナは、機先を制して行動を起こします。その中心となったのが、彼女の愛人であったグリゴリー・オルロフをはじめとする屈強なオルロフ兄弟でした。

日付・局面発生した重要事象当時の政治的・軍事的影響編集部の歴史的検証1762年6月28日エカチェリーナが近衛兵連隊の兵舎へ進軍、皇帝即位を宣言イズマイロフスキー連隊など全近衛軍、元老院、聖職者が即座に支持を表明周到な根回しにより、首都サンクトペテルブルクを無血で完全掌握した手腕が光る1762年6月29日オラニエンバウムにいたピョートル3世が正式に退位署名自軍の支持を完全に失ったピョートル3世が無条件降伏し幽閉されるピョートル3世の優柔不断さと戦略的孤立がクーデターの早期成功を決定づけた1762年7月17日ロプシャの幽閉先でピョートル3世が謎の変死(享年34)公式発表は「痔疾性疝痛」。アレクセイ・オルロフらによる暗殺説が濃厚エカチェリーナの直接指示の証拠はないが、帝位の正統性を脅かす火種が排除された

クーデター当日、エカチェリーナは近衛兵の軍服に身を包み、自ら白馬に跨って軍の先頭に立ちました。この圧倒的なカリスマ性と行動力によって、流血を最小限に抑えた電撃的な権力奪取を成功させたのです。

木村 陽翔

木村 陽翔

テックライター兼ウェブディレクター

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。

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