宇多田ヒカルの母・藤圭子の光と影|衝撃の真相と受け継がれる魂
宇多田ヒカルの母・藤圭子の光と影|衝撃の真相と受け継がれる魂を徹底追究! 読者が気になる 重要ポイントを分かりやすく展開します。
藤圭子の歌声に宿る独特の哀感と凄みは、その過酷な原風景から生まれました。藤圭子の生い立ちは、昭和の貧困と流浪の歴史そのものです。盲目の浪曲師であった父・阿部壮三郎と、同じく盲目の三味線奏者であった母・竹山澄子の間に生まれた彼女は、幼少期から生活を支えるため、両親とともに各地を巡る「門付(かどづけ)」や旅回りを行い、幼い喉を酷使して歌い続けました。
10代半ばで旭川のステージで歌っていたところを見出され上京。藤圭子の若い頃の美貌と、ハスキーで怨念すら漂わせるドスの効いた歌声は、作詞家・石坂まさをらによって見出され、1969年『新宿の女』で鮮烈なデビューを果たします。
翌1970年にリリースされた『圭子の夢は夜ひらく』と『女のブルース』は爆発的な大ヒットを記録。オリコンチャートにおいて、彼女のファーストアルバム『新宿の女』が20週連続1位、続くセカンドアルバム『女のブルース』が17週連続1位を獲得し、合計37週連続アルバム1位という、日本の音楽チャート史上破られていない金字塔を打ち立てました。
1971年には歌手の前川清と結婚するも翌年離婚。その後、喉のポリープ手術などを経て1979年に一度引退を表明し渡米します。そこで音楽プロデューサーの宇多田照實と出会い再婚。1983年にニューヨークで長女・光(宇多田ヒカル)を出産しました。宇多田ヒカルの家族構成は、父・照實、母・圭子、娘・ヒカルの3人であり、のちに家族ユニット「U3」を結成するなど、常に音楽と密接に結びついた特異な共同体を形成していくことになります。