武蔵の国はどこからどこまで?東京・埼玉・神奈川にまたがる巨大範囲の真相

武蔵の国はどこからどこまで?東京・埼玉・神奈川にまたがる巨大範囲の真相についての真相をお届けします。

武蔵国の境界線を現代の地図に重ね合わせると、その広大さに驚かされます。北は利根川や荒川の上流域から、南は横浜市の境川や帷子川(かたびらがわ)周辺に至るまで、関東平野の中枢部を縦断する形で広がっていました。

具体的に現在の自治体と照らし合わせると、以下の領域がすべて武蔵国に該当します。

  • 埼玉県:秩父エリアから大宮、川越、熊谷、越谷に至るほぼ全域。
  • 東京都:23区および多摩地域全域(※伊豆諸島・小笠原諸島は除く)。
  • 神奈川県:川崎市の全域、および横浜市の主要部(戸塚区・泉区・栄区・瀬谷区などの一部を除く、鶴見区・港北区・中区・西区・保土ケ谷区・南区・磯子区・金沢区など)。

神奈川県といえば相模国(さがみのくに)の印象が強いですが、鎌倉や小田原、湘南エリアが相模国に属していたのに対し、川崎や横浜北・東部は武蔵国でした。現在でもJR横浜線沿線や東急東横線沿線に「武蔵小杉」「武蔵白石」「武蔵新城」といった駅名が点在しているのは、この古代の国境線が明確に残されている証左です。

律令制において武蔵国は、大国(たいこく)に格付けされ、管轄する郡の数は最終的に21郡(足立・豊島・荏原・多摩・橘樹・都筑・久良岐・埼玉・比企・入間・高麗・新座・秩父・男衾・幡羅・榛沢・児玉・那珂・大里・横見・葛飾の一部)に及びました。これだけの平野部と水系を抱えていたからこそ、古代から農業生産力と軍事力の両面で突出したポテンシャルを秘めていたのです。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

Share this article
Twitter Facebook Pinterest