日本人女性はいつからパンツを穿いた?下着の歴史と白木屋火災の真相
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日本の女性下着史を語る上で、必ずと言ってよいほど引き合いに出されるのが、1932年(昭和7年)12月に発生した「日本橋白木屋百貨店火災」です。「火災で高層階から避難する際、ズロースを穿いていなかった和服姿の女子店員たちが、風で着物の裾がめくれて陰部が見えるのを恥ずかしがり、裾を押さえようとして墜落死した。この悲劇を教訓に日本女性の間でパンツ着用が急速に広まった」という言説は、昭和から平成にかけて広く信じられてきました。
しかし、当時の公的記録や消防資料、警視庁の調査報告書を丹念に検証すると、このエピソードには著しい事実誤認と後世の脚色が含まれていることが判明しています。
警視庁消防部がまとめた公式報告書によると、白木屋火災における犠牲者14名のうち店員は数名であり、死因の多くは煙による一酸化炭素中毒や避難ロープからの転落でした。「恥ずかしさから裾を押さえて転落した」という直接的な現場証言や検視記録は存在せず、当時のセンセーショナリズムに傾倒した新聞・雑誌の報道、さらには後年に下着業界や洋裁普及運動の関係者が洋装化の必要性を説く過程でドラマチックに誇張された言説が定着したものと結論づけられています。
実際の日本女性における下着普及の決定的な理由は、火災による突発的なショックではなく、以下のような複合的な社会環境の変化によるものでした。
- 学校教育と集団体育の導入:大正末期から昭和初期にかけて、高等女学校での体操服(ブルマー等)着用や洋装制服の採用が進み、少女期からズロースを穿く習慣が形成された。
- 戦時体制と「もんぺ」の義務化:昭和10年代後半、空襲対応や労働効率向上のため女性にもんぺ着用が義務付けられ、股下の擦れを防ぐ実用下着の需要が決定づけられた。
- 戦後の洋装ブームと生理用品の進化:戦後のアメリカ文化流入による洋服の爆発的普及、およびアンネナプキンをはじめとする近代的な使い捨て生理用ナプキンの登場により、股布で固定するショーツが不可欠となった。