世界遺産・潜伏キリシタンの真実|「隠れ」との違いと禁教の遺構

今注目を集めている 世界遺産・潜伏キリシタンの真実|「隠れ」との違いと禁教の遺構について、多角的な視点をご紹介しています。

潜伏の痕跡を訪ねて現地を歩くと、信徒たちがいかに「自然景観」と「身近な生活用具」の中に祈りを埋め込んでいたかに驚かされます。

熊本県天草市の下島南端に位置する天草の﨑津集落では、漁村ならではの知恵が色濃く残されています。信徒たちは、アワビの貝殻の内側当にある真珠層の不規則な斑紋に聖母マリアの姿を見出し、それを小厨子に収めて崇拝していました。また、タイラギという大型二枚貝の貝殻を削って十字架を作り、海上の無事を祈ったといいます。﨑津諏訪神社の境内を歩くと、かつて神社の参道で踏み絵が行われ、信徒たちは神道の神を拝むふりをしながら、心の中でデウスを念じて鳥居をくぐっていた歴史が解説板に記録されています。現地で案内ボランティアを務める男性は、静かにこう語ってくれました。

「﨑津の信仰は、何かを否定して打ち破るものではありませんでした。神様も仏様も拒まず受け入れ、その奥深くに自分たちの尊い祈りを重ね合わせたのです。だからこそ、この狭い入江の集落で誰一人命を落とすことなく、激しい詮索の時代を乗り切ることができたのです」

一方、外海(そとめ)地方の過酷な弾圧から逃れるため、安住の地を求めて荒海を渡った信徒たちが開拓したのが五島列島です。五島市久賀島の「牢屋の窄(さこ)殉教記念聖堂」には、明治初期の最後の弾圧「五島崩れ」の悲惨な記憶が残されています。わずか12畳ほどの狭い牢屋に約200人の信徒が押し込められ、8か月余りに及ぶ飢餓と拷問により、子どもや老人を含む42名が命を落としました。床に敷かれた石の冷たさと狭小な空間は、今なお訪れる者の言葉を奪います。

しかし、苦難の先には美しい祈りの結実もありました。新上五島町の頭ヶ島天主堂は、迫害を耐え抜いた信徒たちが島内の海岸から硬い砂岩を切り出し、手押し車で運び上げて積み上げた「石造りの教会」です。堂内には五島に自生する椿を模した可憐な花装飾が天井一面に咲き誇り、過酷な歴史を生き抜いた信徒たちの誇りと安らぎが満ちています。

佐々木 一輝

佐々木 一輝

ビジネス戦略アナリスト

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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