ドイツ軍はなぜ破綻したのか?シュリーフェン・プラン失敗の全真相
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では、入念に準備されたはずの作戦は、なぜ決定的な破綻を迎えたのでしょうか。最大の論点として挙げられるのが、シュリーフェンの後を継いだ参謀総長小モルトケによる作戦修正の是非です。
元帥シュリーフェンが臨終の際、「我が軍の右翼を強大にせよ」と言い残したという逸話は広く知られています。シュリーフェンの構想は、右翼のハンマーを極限まで重くして振り下ろすものでしたが、神経質で慎重派だった小モルトケは、祖国ドイツの領土がフランス軍に蹂躙される恐怖を拭えませんでした。その結果、左翼を補強するために右翼の兵力を相対的に削ってしまったのです。
さらに現場では、想定を覆す事態が次々と発生しました。第一に、無抵抗で通過できると侮っていたベルギー軍が、国王アルベール1世のもと猛烈に抵抗し、リエージュ要塞の攻防戦でドイツ軍のスケジュールを狂わせました。第二に、イギリス遠征軍(BEF)の迅速な展開です。
そして最大の誤算が、東部戦線におけるタンネンベルクの戦いへの影響でした。ロシア軍は未完了の動員態勢のまま、開戦からわずか2週間余りで東プロイセンに侵攻。パニックに陥った小モルトケは、西部戦線の決戦を目前にしながら、右翼から主力2個軍団を引き抜いて東部へ送ってしまいました。皮肉なことに、引き抜かれた部隊が到着する前にパウル・フォン・ヒンデンブルクらによってタンネンベルクの戦いは大勝利を収めており、西部戦線では決定打となる戦力をただ喪失しただけに終わったのです。