山手線103系はなぜ消えた?ウグイス色の原点と引退の真相
山手線103系はなぜ消えた?ウグイス色の原点と引退の真相についての疑問解決ガイドをご紹介します。
山手線を追われた膨大な数の103系は、そのまま廃車・解体されたわけではありませんでした。首都圏各線の輸送改善や新線開業を支えるため、複雑な転属の経緯を辿ることになります。
代表的な転属先が、1985年に開業した埼京線や、急速にベッドタウン化が進んでいた京葉線、武蔵野線、川越線などでした。また、常磐快速線や南武線、横浜線、鶴見線といった首都圏の各線区へも続々と再配置され、それぞれの路線のラインカラーへと塗り替えられていきました。
一部の車両は遠く関西圏(JR西日本管内)へも移籍し、森ノ宮電車区(大阪環状線)や明石電車区(東海道・山陽緩行線)などで長く走り続けました。山手線で鍛え上げられたタフな設計と高い汎用性があったからこそ、103系は全国各地で「第二の車生」を全うすることができたのです。