平家物語『木曽の最期』現代語訳とあらすじ|義仲の敗因と主従の絆

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近江国粟津(現在の滋賀県大津市)で繰り広げられた「粟津の戦い」は、源義経・範頼が率いる数万の鎌倉軍に対し、木曽義仲軍が壊滅へと向かう撤退戦の最終局面です。物語の冒頭で義仲に従っていた兵はおよそ三百余騎でしたが、押し寄せる敵波に揉まれ、次々と命を落としていきました。

激戦の末、味方は五十騎、さらに手塚光盛が討ち死にして五騎へと激減します。残った五騎の顔ぶれは、主君・木曽義仲、乳母子の今井兼平、兼平の弟である樋口兼光の縁者、そして女武者として名高い巴御前と山吹御前(諸本による)でした。義仲はこの極限状況で巴御前に対し、「お前は女であるから、どこへでも落ち延びよ。自分は討ち死にする覚悟だが、最期まで女を連れていたと他人に言われるのは武士として末代までの恥だ」と戦場からの離脱を命じます。巴は主君の命に従い、敵将・御田八郎師重の首を怪力でねじ切って捨て、東国へ向けて落ち延びていきました。

ついに主従二人だけとなった義仲と兼平。兼平は主君に対し、名もない雑兵の手にかかる屈辱を避け、立派に自害を遂げるよう促します。「あの松原へ入って心静かにご自害なされませ。私が敵を食い止めます」と告げる兼平の言葉を受け、義仲は粟津の松原へと馬を走らせます。しかし、運命は残酷でした。冬の薄氷が張った深い田(深田)に馬の足を取られ、身動きが取れなくなった義仲は、背後の兼平の安否を気遣って振り返った瞬間、敵の放った矢を眉間に受けて落馬。石田次郎為久によって首を取られてしまいます。

主君の討死を告げる敵の喚声を聞いた兼平は、「いまは誰をかばって戦う必要があろうか。東国の武者たちよ、日本一の剛の者が自害する手本を見よ」と高らかに叫び、太刀の先を自らの口に含んだまま馬から真っ逆さまに飛び降り、身体を貫かせて果てました。二人の壮烈な死によって、木曽軍の栄光は完全に幕を閉じたのです。

中川 明日香

中川 明日香

ビジネス戦略アナリスト

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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