愛新覚羅溥傑の激動の生涯|政略結婚から真実の愛、長女の悲劇と現在
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1937年4月3日、東京・九段の軍人会館(現・九段会館)で盛大な結婚式が執り行われました。新婦は侯爵・嵯峨実勝の長女で、明治天皇の従兄弟筋にあたる名門華族の令嬢・嵯峨浩。関東軍の思惑が露骨に絡んだ縁談であり、当初、嵯峨家側には激しい動揺と戸惑いがありました。
しかし、見合いの席で初めて顔を合わせた二人は、互いの誠実で穏やかな人柄に一瞬で惹かれ合います。溥傑は自著『溥傑自伝』の中で、当時の心境を「清楚で知的な浩の姿に、国家の謀略を超えた生涯の伴侶を見出した」と振り返っています。政略結婚という冷酷な枠組みから始まった関係は、互いを敬い慈しむ「本物の夫婦愛」へと急速に昇華していきました。
結婚後、二人は新京(現・長春)へ渡り、翌1938年には長女の慧生(えいせい)、1940年には次女の嫮生(こせい)が誕生。溥傑は家庭にあっては極めて穏やかな父親であり、家族と過ごす束の間の団らんを何よりも愛していました。
しかし、1945年8月のソビエト連邦軍の満州侵攻と日本の敗戦によって、幸福な日常は無残にも引き裂かれます。溥傑は兄・溥儀とともに逃亡を図る途中でソ連軍の捕虜となり、浩と幼い娘たちは中国大陸に取り残され、過酷を極める流転の旅路へ放り出されることになりました。これが、実に16年間におよぶ生別の始まりでした。