Usjはいつできた?開業25周年の歴史年表と劇的V字回復の真相
Usjはいつできた?開業25周年の歴史年表と劇的V字回復の真相についての疑問解決ガイドをお届けします。
USJの歴史を語る上で欠かせないのが、「なぜ東京や他都市ではなく、大阪・此花区だったのか」という立地の必然性です。1980年代後半から1990年代初頭にかけて、千葉県浦安市で東京ディズニーランドが大成功を収めたことを受け、日本各地の自治体やデベロッパーが海外有力テーマパークの誘致合戦を繰り広げていました。当時、千葉県や神奈川県、福岡県などもユニバーサル・スタジオの誘致候補に挙がっていたと伝えられています。
大阪が最終的な勝者となった背景には、大阪市此花区の臨海部再開発事業(此花西部臨海地区土地区画整理事業)と、関西経済界の強烈な危機感がありました。計画地となった場所は、かつて住友金属工業(現・日本製鉄)や日立造船などの製鉄所・造船所が立ち並んでいた重工業地帯の広大な工場跡地でした。重厚長大産業の再編によって遊休地化していたベイエリアを、先端的な第3次産業・観光産業の集積地へと転換することが大阪市にとっての至上命題だったのです。
大阪市が筆頭株主となる第三セクター方式(株式会社ユー・エス・ジェイ、現・合同会社ユー・エス・ジェイ)を採用し、関西国際空港からのアクセス性、JR桜島線(JRゆめ咲線)の延伸および「ユニバーサルシティ駅」の新設といった交通インフラの全面整備を迅速に約束したことが決定打となりました。煙突が立ち並んでいたかつての工業地帯は、官民一体となった総事業費約2,150億円のビッグプロジェクトによって、夢のエンターテインメント空間へと生まれ変わったのです。