白樺派とは何か?志賀直哉らの理想と自然主義との決定打を徹底解剖
白樺派とは何か?志賀直哉らの理想と自然主義との決定打を徹底解剖とは一体何なのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。
白樺派の真骨頂は、原稿用紙の上で理想を語るにとどまらず、自らの肉体と私財を投じて現実社会を造り替えようとした行動力にあります。
その最大の記念碑が、武者小路実篤が私財を投じて建設したユートピア共同体「新しき村」です。世間では単なる世捨て人の隠棲やカルト的集団と誤解されることもありますが、武者小路実篤新しき村真相は極めて論理的かつ先駆的な社会実験でした。1918年(大正7年)、武者小路は「人間らしく生きるためには、誰もが1日2時間程度の義務労働(農業など)を行い、残りの時間を自己の芸術や学問、個性追求に充てるべきだ」という構想を掲げ、宮崎県児湯郡木城村(現・木城町)の山林を開墾して村を拓きました。
財産を共同管理し、階級も搾取もない自給自足の社会を目指したこの試みは、全国の理想に燃える若者たちを惹きつけました。1938年にダム建設に伴い大半が水没する危機に見舞われ、埼玉県毛呂山町に「東の村」を開いて移転を余儀なくされますが、特筆すべきは、この村が現在に至るまで100年を超えて一般財団法人として存続し続けている事実です。武者小路が描いた「労働と自己実現の調和」という問いは、現代のワークライフバランス論の先駆そのものでした。
また、文学と工芸の融合点として見逃せないのが、千葉県我孫子市の手賀沼畔に形成された「白樺派コロニー」の歴史です。大正初期、柳宗悦が妻で声楽家の兼子とともに居を構えると、志賀直哉、武者小路実篤が相次いで移住。ここに英国人陶芸家バーナード・リーチが窯を築き、民藝運動の盟友となる濱田庄司や河井寛次郎らが集う一大サロンが誕生しました。
この我孫子時代に生まれたユニークな文化遺産が我孫子白樺派カレー歴史です。1915年頃、柳宗悦の邸宅に集まる文豪たちのために、妻・兼子が当時としては極めてハイカラな西洋風カレーを振る舞っていました。その際、バーナード・リーチから「隠し味に味噌を入れるとコクが出る」と助言を受け、日本古来の発酵調味料である味噌を溶かし込んだ特製カレーが完成。この味は現在、手賀沼周辺の地域おこしとして忠実に復刻され、多くの文学ファンを魅了しています。
さらに、この我孫子での濃密な交友関係から芽生えたのが柳宗悦民藝運動経緯の原点でした。西洋の前衛美術を追いかけていた柳は、リーチらとの対話を通じ、名もなき職人が作る日常の雑器に宿る「無心の美」「用の美」に開眼。白樺派が追求した生命への賛歌は、文学の領域を飛び越え、日本人の美意識を根底から塗り替える運動へと昇華していったのです。