司馬光『資治通鑑』の真実!王安石との対立と史記との違いを徹底解剖
司馬光『資治通鑑』の真実!王安石との対立と史記との違いを徹底解剖にまつわる最新トピックを分かりやすく発信ます。
『資治通鑑』という書名は、第6代皇帝・神宗(しんそう)から下賜されたもの。「政治(治)を資(たす)くるに通ずる鑑(かがみ)」、すなわち君主が統治の誤りを防ぐための歴史の鑑という意味が込められています。
編纂が始まった背景には、北宋王朝を取り巻く深刻な財政難と軍事危機がありました。皇帝・神宗は若き改革派・王安石を登用し、国家主導で経済を活性化させる「新法」を一気に推し進めます。これに対し、民衆への急激な負担増と官僚の腐敗を懸念して真っ向から立ち塞がったのが、旧法党の領袖である司馬光でした。
新法派が実権を握ると、司馬光は自ら朝廷を去り、西京(洛陽)に隠棲。政争の敗者となった彼が選んだ戦い方こそが、「過去の興亡をすべて検証し、真に持続可能な治道を次代に示す」という巨大プロジェクトでした。1065年から1084年に至る19年間、精鋭の歴史学者チームとともに膨大な史料を突き合わせ、客観的事実を紡ぎ出しました。