群馬の県庁所在地はなぜ前橋か?高崎との知られざる歴史と新戦略

群馬の県庁所在地はなぜ前橋か?高崎との知られざる歴史と新戦略についての真相をご紹介します。

時計の針を明治維新の激動期に戻そう。1871年の廃藩置県によって誕生した群馬県は、最初から前橋に本拠を置いていたわけではない。当初、県庁は高崎城内に置かれ、高崎が政治の中心となるはずだった。しかし、軍事拠点としての重要性から高崎城を陸軍東京鎮台の分営に明け渡すことになり、県庁は前橋城跡へと移転を余儀なくされる。

その後、群馬県と入間県の一部が統合されて「熊谷県」が誕生すると、中枢は一時埼玉側の熊谷へ移る。そして1876年、現在の群馬県が再設置された際、初代県令の楫取素彦が高崎を推したのに対し、前橋の豪商や町民たちは立ち上がった。莫大な資金を自ら拠出して県庁舎の建設費を全額寄付し、猛烈な誘致運動を展開したのである。郷土のカルチャーとして親しまれる上毛かるたで「県都前橋生糸の市」と詠まれる誇りは、このとき結実した血の通った歴史の証左にほかならない。

阿部 裕樹

阿部 裕樹

エンタメ専門ジャーナリスト

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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