金子文子の死因は自殺か他殺か|23歳獄中死の真相と遺書に迫る

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1923年9月1日、関東大震災が発生。直後の混乱期に吹き荒れた朝鮮人虐殺の嵐のなか、警察当局は治安維持を名目に朴烈と金子文子を保護検束しました。当初の容疑は軽微なものでしたが、当局は治安維持法の前身的な見せしめとして、ふたりが皇太子(のちの昭和天皇)暗殺を企てていたとする「大逆罪」を捏造・適用します。これが世にいう大逆事件(朴烈事件)です。

1926年3月25日、大審院(現在の最高裁判所)はふたりに死刑を宣告。文子は法廷で「万歳」を叫び、裁判官たちを嘲笑しました。さらに国家は、皇室の慈悲を演出するために同年4月5日付で「無期懲役への減刑(恩赦)」を下します。しかし、文子にとってこの恩赦こそ最大の侮辱でした。

「私は天皇の慈悲など乞うていない。死刑にしてくれれば潔く死ぬが、国家の都合で生かされる筋合いはない」。文子は栃木支所の所長から手渡された減刑状を、その面前でズタズタに破り捨てました。国家の恩情にすがって生きることを拒絶したこの行動こそが、文子の死因に直結する精神的動機であったと指摘されています。

林 結菜

林 結菜

ライフスタイル編集者

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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