渥美清の最期と壮絶ながん闘病|密葬を選んだ寅さんの遺言と真実
話題沸騰中の 渥美清の最期と壮絶ながん闘病|密葬を選んだ寅さんの遺言と真実について、多角的な視点を分かりやすく掲載しています。
1996年8月6日、松竹本社で行われた緊急記者会見は、深い哀惜と慟哭に包まれました。会見に臨んだ山田洋次監督は、溢れる涙をぬぐいながら、次のような追悼コメントを絞り出しました。
「渥美清という大名優を失った喪失感は言葉にできない。寅さんは渥美さんであり、渥美さんは寅さんだった。彼が亡くなったことで、車寅次郎という男もまた、この世から旅立ってしまった」
妹・さくら役として誰よりも近くで渥美さんの背中を見つめ続けてきた倍賞千恵子さんも、「お兄ちゃん、本当に行ってしまったの……」と絶句し、突然の別れを受け止めきれずに立ち尽くしました。前年まで現場で共に笑い合っていた盟友のあまりにも潔い退場に、松竹関係者のみならず日本中が深い悲嘆に暮れました。
一方で、テレビ草創期からの盟友であり、私生活でも心を許し合っていた黒柳徹子さんには、亡くなる直前に特別なやり取りが残されていました。2024年に刊行された書籍『渥美清に逢いたい』(山田洋次・黒柳徹子共著、マガジンハウス)などの記録によると、渥美さんは亡くなる数日前、黒柳さんに電話をかけていたといいます。
普段は決して弱音を口にしなかった渥美さんが、かすれがちな声で「徹子ちゃん、もう仕事はやめたほうがいいよ……。お前、疲れるだろう」と語りかけ、自らの限界を滲ませるように「俺はもう疲れたよ」と漏らしたと述懐されています。大衆の前では永遠の陽気な風来坊であり続けた男が、真の理解者にだけ見せた、最初で最後の最期の言葉でした。