宮澤喜一の知性と政権崩壊の真相|孫エマが語る素顔と歴史の教訓

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宮澤喜一の歩みは、まさに戦後日本の経済復興と重なります。旧制武蔵高等学校を経て東京帝国大学(現・東京大学)法学部を優秀な成績で卒業後、1941年に大蔵省へ入省しました。終戦直後の占領下、宮澤氏は若手官僚としてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)との折衝役に抜擢されます。当時、通訳を介さずにネイティブと同等以上のスピードとニュアンスで高度な財政議論を交わす姿は、米軍幹部たちを驚嘆させました。

1951年のサンフランシスコ平和条約調印会議では、全権委員顧問を務めた池田勇人の秘書官として随行し、歴史的合意の舞台裏を支えました。この時に培われた国際感覚と英語力は、後の首相時代や主要国首脳会議(サミット)でも遺憾なく発揮されます。首脳同士の通訳なしのサシ会談を難なくこなし、米国の要人たちから「英語で直接、哲学や世界秩序を論じられる稀有な東洋の知性」と最大級の賛辞を受けました。

政治家に転身してからも、経済企画庁長官、通商産業大臣、外務大臣、内閣官房長官、副総理兼大蔵大臣といった要職をことごとく歴任し、政策通として「政策のデパート」の異名を取りました。論理的で隙のない答弁と、経済動向を数字の裏付けとともに即座に把握する能力は、当時の政官界において唯一無二の存在感を放っていました。

池田 達也

池田 達也

マネー&キャリアエディター

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。

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