19世紀末に3B政策を展開した国はどこ?ドイツ帝国と大戦の真相
19世紀末に3B政策を展開した国はどこ?ドイツ帝国と大戦の真相に関する基本知識をわかりやすくまとめました。要点を確実におさえることができます。
Q1:3B政策とイギリスの3C政策の覚え方で、混乱しないコツはありますか?
A1:まず国旗や母音ではなく「アルファベットの頭文字」で整理するのが鉄則です。ドイツは「B」で【ベルリン(本国)→ビザンティウム(トルコ)→バグダード(イラク)】。イギリスは「C」で【カイロ(エジプト)→ケープタウン(南アフリカ)→カルカッタ(インド)】です。ドイツは「ユーラシア横断の陸路」、イギリスは「インドを守るアフリカ・海洋ルート」とイメージすると絶対に混同しません。
Q2:なぜドイツは海ではなく鉄道(バグダード鉄道)にこだわったのですか?
A2:当時、世界の海洋航路の要所(ジブラルタル、マルタ、スエズ運河、アデン、シンガポール)はすべてイギリス海軍に押さえられていたためです。ドイツが中東やアジアの市場・石油資源にアクセスするには、イギリス海軍の干渉を受けない「陸上ルート(鉄道)」を敷くことが唯一の活路でした。
Q3:3B政策は第一次世界大戦の背景としてどのように繋がったのですか?
A3:ドイツの3B政策はイギリスの権益を侵犯しただけでなく、バルカン半島を南下して中東へ至るルートであったため、パン・スラヴ主義を掲げて南下政策を推し進めていたロシア帝国とも決定的に衝突しました。結果として、宿敵同士だったイギリス・フランス・ロシアが手を結ぶ「三国協商」が成立し、ドイツ・オーストリアの「三国同盟」との二極対立を固定化させ、大戦を不可逆なものにしました。