浜田雅功の日生学園時代と脱走伝説|壮絶スパルタと現在の姿
浜田雅功の日生学園時代と脱走伝説|壮絶スパルタと現在の姿の見逃せないポイントをわかりやすく整理しました。
三重県白山町(現・津市)の山奥に位置していた日生学園第二高校は、1970年代から1980年代にかけて、非行少年や不登校児の更生、落ちこぼれ救済を掲げて全国から生徒を集めていました。当時の教育システムは、外界との接触を完全に遮断する完全全寮制であり、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌の持ち込みは一切禁止。外部との通信も厳密に検閲されるという、極めて厳格な管理下に置かれていました。
日生学園の象徴として知られるのが、「心魂開発(しんこんかいはつ)」と呼ばれるトイレ掃除です。生徒たちは毎朝、素手とスポンジだけで便器を磨き上げ、汚れを一切残さない極限の集中状態を求められました。道具を使わず素手で汚れに対峙することで「我欲を捨て、心を磨く」という独自の精神修養であり、早朝から全力で大声を出しながら床を雑巾掛けする「全力疾走・全力発声」とともに、生徒の精神を限界まで鍛え上げる日課となっていたのです。
当時の起床時間は午前4時半。起床の合図と同時に全速力で点呼場所へ向かい、1秒の遅れも許されない環境でした。食事の際も私語は厳禁であり、わずか数分で完食することが義務付けられるなど、軍隊さながらの規律が24時間敷かれていました。