崇徳天皇を祀る神社はなぜ最強パワースポットか|怨霊と縁切りの真相
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崇徳上皇が崩御してから700年以上の歳月が流れた幕末の慶応4年(1868年)、日本が近代国家へと脱皮しようとする大転換期に、歴史的な大事件が起こります。崇徳天皇の鎮魂を命じた明治天皇の英断です。
明治天皇は、鳥羽・伏見の戦いを経て江戸への東京遷都(東幸)を決断する直前、「自らの先祖である崇徳院の御霊を讃岐から京都へお迎えせぬままでは、新しい日本の平和な国造りは成し得ない」と考えられました。国家存亡の危機において、過去の皇室が犯した歴史的過ちを直視し、朝敵とされ怨霊と恐れられてきた崇徳上皇の霊魂を京都へ迎え入れるため、勅使を香川県坂出の白峰山へ派遣したのです。
讃岐から京都へと奉遷された崇徳天皇の御霊は、旧飛鳥井家の邸宅跡に新たに創建された白峯神宮に厳かに祀られました。さらに昭和天皇もまた、昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催を控えた時期に、自ら勅使を讃岐の崇徳天皇陵(白峰陵)に派遣し、800年祭の式典を行っています。
天皇家みずからが歴代の怨霊と真摯に向き合い、礼を尽くしてその名誉を完全に回復させたこの歴史は、日本という国が「敗者の魂を絶対に抹殺せず、最高位の神として包摂する」という高度な精神的伝統を持っていることの証左です。国家の指導者たちが恐れ敬ったその強い御霊の前に立つとき、参拝者が感じる畏怖の念は、単なる迷信を超えた歴史の重みとして胸に迫ってきます。