昭和の伝説・須田開代子の光と影|中山律子との真実と突然の別れの真相
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須田開代子さんは1938年(昭和13年)8月2日、東京都出身。元々は実業団のバレーボール選手として活躍していましたが、怪我をきっかけにボウリングへ転向しました。天性のボールコントロールと左利きの切れ味鋭いフックボールを武器に、瞬く間にトップアマチュアへと駆け上がります。
1969年に日本プロボウリング協会(JPBA)が女子第1期生のプロテストを実施した際、実技テストを圧倒的なスコアでトップ通過。記念すべき女子プロライセンスNo.1を交付され、日本の女子プロボウリング界の扉を開いた先駆者となりました。
通算43勝という数字は、斉藤志乃ぶプロに次ぐ女子プロボウリング史上歴代第2位の金字塔です。須田さんの投球は、しなやかな助走から繰り出される正確無比なコース取りと、鋭いピンアクションが特徴で、現在のアスリート型ボウリングの基礎を築いたと言っても過言ではありません。