明治時代の食べ物はどう激変した?牛鍋の裏に隠された庶民食のリアル
明治時代の食べ物はどう激変した?牛鍋の裏に隠された庶民食のリアルについての真相をお届けします。
日本の歴史において、675年に天武天皇が発布した「牛馬犬猿鶏の宍(肉)を食うことなかれ」という肉食禁止令以来、獣肉を口にすることは穢れ(けがれ)とみなされてきました。この強固な宗教的・文化的タブーを一夜にして覆したのが、国家近代化を急ぐ明治政府の強い政治的意志です。
決定打となったのは、1872年(明治5年)1月24日の出来事でした。宮内省を通じて「明治天皇が日常の食事として牛肉を召し上がった」という事実が公式に新聞各紙で報じられたのです。欧米列強に対抗しうる強靭な軍隊と国民を育成するためには「体格向上と肉食が不可欠」と判断した政府による、最高レベルのプロパガンダでした。
これに熱狂したのが東京の町衆です。戯作者の仮名垣魯文が著した『安愚楽鍋(あぐらなべ)』には、「牛鍋食わぬは開化不進奴(ひらけぬやつ=文明開化についていけない遅れた人間)」という強烈なフレーズが登場します。当時の東京市街には雨後の筍のように「牛鍋屋」が乱立し、長ネギや焼き豆腐とともに味噌や醤油仕立ての濃厚な割り下で煮込むスタイルが定着しました。
ここで押さえておきたいのが、すき焼きと牛鍋の歴史的差異です。関東で生まれた「牛鍋」は、獣臭さを消すために味噌や濃口醤油で煮込む鍋料理でした。一方で関西では、農具の鋤(すき)の上で肉を焼いた伝統に由来し、鉄鍋で牛肉を焼き付けてから砂糖と醤油で味を調える「すき焼き」が主流でした。この東西の調理法が明治後期から大正にかけて融合し、現在のすき焼きへと発展を遂げました。