ポケモンの原点「カプセルモンスター」の真相と改名理由の全貌
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1990年の最初のプレゼンテーション時、任天堂社内の反応は決して芳しいものばかりではありませんでした。「通信ケーブルで遊ぶRPG」という概念があまりにも前例がなく、理解されにくかったためです。しかし、ゲームプロデューサーの宮本茂氏は田尻氏の熱意と非凡な着想にいち早く着目し、プロジェクトの後援を引き受けました。
宮本氏の助言の中でも特に決定的だったのが、「バージョンを2つに分け、それぞれ出現するモンスターを変えてはどうか」という提案でした。1本のソフトですべてが完結するのではなく、友達と交換しなければ図鑑が完成しないという仕組みを組み込むことで、「通信交換」という行為に必然性を持たせたのです。
しかし、そこからの開発現場は過酷を極めました。資金難に陥ったゲームフリークは他社タイトルの下請け開発で食いつなぎ、スタッフへの給与未払いや離職が続くなど、プロジェクトは幾度となく空中分解の危機に瀕しました。実に6年間という異例の長期開発の末、1996年2月27日、ついに『ポケットモンスター 赤・緑』は世に送り出されたのです。