完顔阿骨打とは何をした人か?金朝建国と大国・遼を滅ぼした真相

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完顔阿骨打の生涯を語る上で欠かせないのが、彼が反旗を翻した契丹(きったん)族の帝国「遼」による過酷極まる圧政の歴史です。当時、女真族は遼の支配下で「生女真(野蛮とみなされた奥地の部族)」と「熟女真(遼に帰順し戸籍に入った部族)」に分断されていました。

遼の貴族たちは、狩猟用の名鷹「海東青(かいとうせい)」や真珠、朝鮮人参、良馬などの朝貢を生女真に法外な量で強要しました。さらに遼から派遣される巡回官吏は、女真族の集落で妻子を暴力的に略奪するなど、非道な狼藉を繰り返していたことが正史『金史』に生々しく記録されています。

積年の恨みが爆発する導火線となったのが、1112年に松花江沿岸で開催された「頭魚宴(とうぎょえん)」での事件でした。遼の第9代皇帝・天祚帝(てんそてい)が酒宴の席で、服属する女真諸部の首長たちに対し、興を添えるために順番に舞を踊るよう命じたのです。屈辱に耐えて首長たちが次々と踊る中、ただ一人、鋭い眼光のまま立ち尽くし、踊ることを頑なに拒否した男がいました。それこそが阿骨打でした。

天祚帝はその場で阿骨打の処刑を側近に打診しますが、「無知な山野の者にすぎない」と周囲に宥められ難を逃れます。しかし、阿骨打はこのとき遼の本質的な弛緩と驕りを見抜き、腹を固めていたとされます。1113年、兄の烏雅束(ウヤソ)の病没に伴い部族同盟長である「都勃極烈(トボキレ)」を継承した阿骨打は、本格的な軍備拡張と女真族の統一を一気に推進しました。

そして1114年、阿骨打はわずか2,500の精鋭を率いて遼の要衝・寧江州を急襲。続く「出河店の戦い」では、濃霧を味方につけて10万と号する遼軍主力へ突撃を敢行し、これを粉砕するという歴史的勝利を収めました。連戦連勝の勢いに乗った阿骨打は、1115年元日、自ら皇帝の位に就き国号を「大金」と定めました。

この国号について、阿骨打は群臣にこう語ったと伝えられています。「遼は精鉄を誇りとして国号としたが、鉄はいかに堅固であっても錆びて朽ち果てる。ただ金(黄金)のみが永遠に変色せず、朽ちることもない」。この建国宣言は、虐げられてきた北方狩猟民の誇りと不退転の決意を強烈に象徴していました。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

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