和歌山県の県庁所在地はなぜ和歌山市?紀州藩の謎と2026年最新事情
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現在、和歌山県庁が鎮座している場所は最初からの固定位置ではありませんでした。明治維新後の混乱期から昭和初期にかけて、県庁舎は市内を転々とする流転の歴史を辿っています。県公文書館の記録や公式記録によると、和歌山県庁所在地誕生の経緯には三段階の大きな変遷が存在します。
1872年(明治5年)7月14日、新設された和歌山県庁はまず、和歌山城の「砂の丸」に存在した旧藩庁に拠点を構えました。城郭そのものを接収して行政の中枢とした形です。しかし、旧武家建築の執務環境は近代的な官僚機構の運営には不向きであり、敷地も手狭だったことから、翌1873年(明治6年)には現在の汀公園(みぎわこうえん)にあたる和歌山市西汀町一丁目の旧家老・朝比奈惣左衛門屋敷跡へと新築移転します。この庁舎は当時の開化期を象徴する西洋式の木造2階建て建築で、半世紀以上にわたって県政を司る舞台となりました。
現在の小松原通へと移転が決定したのは、昭和初期のことです。大正から昭和にかけて行政機構が急速に膨張し、木造の西汀町庁舎は老朽化と狭隘化が限界に達していました。そこで、紀州藩の筆頭家老であった久野丹波守(くのたんばのかみ)の屋敷跡地が新庁舎建設用地として白羽の矢を立てられ、1938年(昭和13年)に威風堂々たる近代建築として現在の県庁本館が姿を現したのです。