本田真凜はなぜ五輪に届かなかった?選考の真相と引退後の今
本田真凜はなぜ五輪に届かなかった?選考の真相と引退後の今について見逃せない 理由を分かりやすい構成で解説いたします。
本田真凜がシニアの壁に跳ね返された要因は、単純なメンタルの強弱や練習量だけでは語れません。女子フィギュアスケート界特有のフィジカルと技術の構造的課題が存在しました。
第一の壁は、「成長期に伴う体型変化(セカンドバウンド)」です。女子スケーターは15歳から18歳にかけて身長の伸びや体重の増加、骨格の変化を迎えます。ジュニア時代は体重の軽さと遠心力で跳べていた回転軸が、重心の変化によって一気に狂ってしまう現象です。本田自身もシニア転向後、ジャンプの高さと回転軸の維持に苦心し、回転不足(アンダーローテーション)の判定を受けるケースが増加しました。
第二の壁は、「ジャンプ構成の難度競争」の急速な激化です。平昌五輪前後は、女子でも3回転ルッツ-3回転トウループの連続ジャンプが必須となり、北京五輪期にはロシア勢を中心に4回転ジャンプやトリプルアクセルが乱舞する新時代へ突入しました。本田の持ち味は、エッジワークの美しさ、スケーティングの伸び、音を全身で捉えるアーティスティックな表現力にあります。しかし、フィギュアスケートの採点システム(IJS)はジャンプの基礎点(BV)と出来栄え点(GOE)の比重が極めて大きく、ジャンプに爆発的な得点源を持たないスケーターにとって、上位進出へのハードルは年々高くなっていったのです。