伊東甲子太郎の離脱理由と油小路の変の真相|新選組暗殺劇の全貌
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伊東甲子太郎に関しては、新選組を題材とした創作物の影響から「組織を内側から乗っ取ろうとした陰険な裏切り者」というステレオタイプで語られることが少なくありません。しかし、幕末史の客観的事実と当時の政情を検証すると、いくつかの重要な盲点が浮かび上がります。
第1の盲点は、近江屋事件(坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺)との時間的近接性です。龍馬が京都・河原町の近江屋で暗殺されたのは慶応3年11月15日、油小路の変のわずか3日前でした。伊東は生前、龍馬の身辺警護について忠告を行っており、龍馬暗殺の一報を聞いた際には「新選組(特に原田左之助ら)の仕業に違いない」と確信して激昂したと記録されています。緊迫した情勢下で伊東自身も命の危険を察知していたはずですが、近藤の誘いに単身で赴いた背景には、自らの弁舌で近藤を説得できるという過信、あるいは武士としての油断があったと考えられます。
第2の誤解は、「伊東は最初から新選組を裏切る目的で入隊した」という見解です。当時の記録を精査すると、伊東は入隊当初、近藤の熱意と組織力を用いて幕政改革を成し遂げようと本気で模索していました。しかし、第二次長州征伐の失敗や慶応3年6月の新選組「幕臣取り立て」により、新選組が幕府の完全な一機関として固定化されたことで、思想的一致の道が完全に絶たれたのが実態です。裏切りというよりは、時代の激変に伴う政治的イデオロギーの不可逆な分岐であったと言えます。