土方歳三に妻はいたのか?生涯独身の理由と許嫁・子孫の真相検証
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明治2年(1869年)5月、蝦夷地・箱館の地で最期を迎える直前、歳三の身の回りには「函館の妻」と呼ばれる現地の女性がいたという説が存在します。箱館五稜郭や弁天台場を拠点としていた際、宿舎となった民家や料亭の女性が歳三の食事や身辺の世話を担当しており、これが後年「内縁の妻」として語られる契機となりました。
しかし、当時の箱館政権は新政府軍の圧倒的な戦力に包囲されており、歳三自身が敗北と死期を明確に悟っていた時期にあたります。そうした極限状態において家庭を築く余裕はなく、あくまで戦時下における生活の支援者であったと見るのが妥当です。
歳三の死生観と家族への想いを証明する決定的な証拠が、決戦直前に小姓・市村鉄之助へ託された遺品です。歳三は激戦が予想される函館脱出を命じ、日野の佐藤彦五郎のもとへ次の品々を届けさせました。
- 洋装の肖像写真:箱館の写真師・田本研造によって撮影された、フランス軍装を身に纏い椅子に腰掛ける有名なポートレート。
- 愛刀・和泉守兼定:数々の死線を共にした名刀。
- 遺髪と辞世の句:「よしや身は 蝦夷が島辺に 朽ちぬとも 魂は東(あずま)の 君をまもらむ」と認めた絶筆。
市村鉄之助は新政府軍の包囲網を命がけで突破し、無事に日野の佐藤家へこの遺品を届けました。妻子を持たなかった歳三が最後に心を向けたのは、自分を武士として育て、物心両面で支援し続けてくれた多摩の義兄や一族でした。