東急の父・五島慶太の真実|強盗慶太と呼ばれた怪物と家系図の現在
東急の父・五島慶太の真実|強盗慶太と呼ばれた怪物と家系図の現在にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。
五島慶太の経営手法を語る上で欠かせないのが、関西私鉄の巨人・阪急電鉄の創業者である小林一三との関係です。慶太は田園都市株式会社の立ち上げに際し、すでに宝塚歌劇団や沿線住宅開発で大成功を収めていた一三から直々に教えを請い、終生「師匠」として深く敬愛していました。
「乗客は自然に増えるものではない。鉄道を敷き、住宅を売り、終点に遊園地や百貨店を作って乗客を自ら生み出すのだ」という小林一三の都市開発哲学を、慶太は貪欲に吸収しました。しかし、慶太は単なる模倣者にとどまりませんでした。上品で文化的な趣味人でもあった一三に対し、慶太は土木工事の最前線に長靴姿で立ち、札束を叩きつけるような凄絶なM&Aを躊躇なく実行する「泥臭い実行力」を兼ね備えていたのです。2人は終生親交を結びつつも、時に関東と関西の覇者として火花を散らすライバル関係でもありました。
また、東武鉄道を率いて「鉄道王」と呼ばれた初代・根津嘉一郎とも密接に交錯しています。甲州財閥の首領であり、冷徹な再建屋として知られた根津嘉一郎の手腕を、慶太は経営の良き手本として観察していました。時に競合し、時に資本提携を結びながら、慶太は先達たちの長所を自らの血肉に変えていったのです。