『戦場のピアニスト』実話の真相とドイツ将校の壮絶な結末を徹底解剖
話題沸騰中の 『戦場のピアニスト』実話の真相とドイツ将校の壮絶な結末を徹底解剖について、多角的な視点を分かりやすく掲載しています。
映画のクライマックス、廃墟でシュピルマンを発見し、ピアノを弾かせたあとに食料を運び続けたドイツ軍人。彼こそが実在の人物、ヴィルム・ホーゼンフェルト大尉です。
ホーゼンフェルトは1895年、ドイツのフルダ近郊でカトリック系の敬虔な教師の家庭に生まれました。第一次世界大戦に従軍して負傷した経験を持ち、戦後は故郷で教師として教鞭を執っていました。当初はナチ党の掲げる愛国心や社会政策に共鳴して党員となったものの、ポーランドに配属されてナチス親衛隊(SS)によるユダヤ人やポーランド人に対する無差別虐殺、暴行、強制収容の実態を目の当たりにし、激しい嫌悪と倫理的絶望を抱くようになります。
妻に宛てた秘密の日記の中で、彼は「私たちは全員が有罪だ。この恥ずべき行為の報いを受けねばならない」「人間としての尊厳をここまで踏みにじる軍隊に、神の加護があるはずがない」とナチス体制を痛烈に批判していました。彼は自らの立場を利用し、スポーツ施設や物資管理の責任者として、シュピルマンのみならず50人以上のユダヤ人やポーランド反体制活動家に偽の就労証明書を発行し、密かに命を救っていたのです。
しかし、彼を待っていた結末はあまりにも残酷なものでした。1945年1月、撤退中にソ連軍の捕虜となったホーゼンフェルトは、特別尋問キャンプに送られます。「自分はユダヤ人を助けた」と証言したものの、ナチス将校の言い訳とみなされ、軍事法廷で「スパイ容疑」により25年の強制労働刑を宣告されました。
彼が収容されたのは、スターリングラード近郊の過酷を極める収容所でした。ソ連軍による激しい尋問と連日の拷問、極寒の重労働により心身を破壊されたホーゼンフェルトは、数回の脳卒中を患い、1952年8月13日、全身の血管破裂により57歳の若さで獄死しました。彼がシュピルマンに名を告げたメモは途中で紛失し、シュピルマンがポーランド新政府を通じてソ連側に助命嘆願書を提出した時には、すでに彼の消息は冷戦の鉄のカーテンの向こう側へと消え去っていたのです。
死後、ホーゼンフェルトの日記や彼に命を救われた人々の証言が明らかになり、2007年にポーランド政府から叙勲を受け、2009年にはイスラエルのヤド・ヴァシェム(ホロコースト記念館)から「諸国民の中の正義の人(義人)」として公式に認定されました。