千姫とはどんな人物?豊臣秀頼と本多忠刻の妻が見た激動の生涯
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千姫と豊臣秀頼の結婚生活は、約12年間に及びました。政略結婚でありながら、2人の仲は決して険悪なものではなかったと伝えられています。大坂城内において、秀頼の母・淀殿(千姫にとっては伯母にあたる)も千姫を丁重に扱い、徳川との全面衝突を避けるための要石として尊重していました。
しかし慶長19年(1614年)の「大坂冬の陣」、続く翌年の「大坂夏の陣」により、豊臣と徳川の決戦は避けられないものとなります。慶長20年(1615年)5月8日、大坂城が炎に包まれる中、千姫は秀頼の命によって城から脱出。このとき千姫は祖父・家康と父・秀忠に対し、秀頼と淀殿の助命を涙ながらに嘆願しました。嘆願は退けられ秀頼らは自害しますが、千姫は秀頼が側室との間にもうけていた娘(後の天秀尼)の助命を強く訴え、鎌倉の東慶寺に入寺させることでその命を救い出しています。自らの立場を顧みず筋を通そうとした行動力は、彼女の情の深さを物語っています。