友桝飲料はなぜ強いのか?ヒット連発の裏側と強炭酸水の真相【2026年】

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友桝飲料の歴史を振り返ると、順風満帆とは程遠い過酷な冬の時代があった。明治35年(1902年)にラムネ製造からスタートした同社は、かつて大手飲料メーカーの下請けボトラーとして細々と操業を続けていた。しかし、元請けからの発注削減や価格競争の波に揉まれ、一時は工場の稼働が激減。深刻な経営危機に直面していた。

このどん底から舵を切ったのが、現代表取締役社長の友田諭氏だ。大学卒業後、大手飲料会社での勤務などを経て家業へ戻った友田氏は、大手と同じ土俵で価格勝負を挑む危険性を痛感。「大手が見向きもしないニッチな領域にこそ、生き残りの勝機がある」と直感したという。当時の心境について、メディアの単独取材で「他社がやらない面倒な小ロットを引き受け、自ら仕掛ける開発型企業に生まれ変わるしかなかった」と振り返っている。

その転換期を象徴する起死回生の一撃が、2000年代中盤に社会現象を巻き起こした「こどもびいる」だった。福岡の飲食店関係者が持ち込んだ「子どもも大人と一緒に居酒屋で乾杯できる飲み物が作れないか」という奇抜なアイデアに対し、大手メーカーが採算性を理由に門前払いするなか、友桝飲料は即座に製品化を決断。琥珀色の炭酸飲料と王冠キャップ、どこかノスタルジックな瓶の佇まいはメディアで爆発的な話題を呼び、年間数百万本を売り上げるメガヒットとなった。

続いて昭和初期の商標を復刻させた「スワンサイダー」、果汁フレーバーとお洒落なガラス瓶が女性層の心を掴んだ「フルーラ(Frula)」と、立て続けに独自ブランドを確立。単に喉を潤すだけでなく、「食卓の景色を変える」「飲む体験そのものを楽しむ」という情緒的価値を付加した商品開発こそが、友桝飲料の快進撃を支える最大の推進力となっている。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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