どんぐりころころの結末と幻の3番|池に落ちた後の真相を追う
話題沸騰中の どんぐりころころの結末と幻の3番|池に落ちた後の真相を追うについて、主要な情報を整理して公開しています。
まずは原典となるオリジナル作品の骨格を確認します。大正時代に誕生した公式の記録において、登録されている歌詞は2番までしか存在しません。現在でも歌い継がれている原詩は以下の通りです。
【1番】
どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て こんにちは
坊っちゃん一緒に 遊びましょう
【2番】
どんぐりころころ 喜んで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた
ここで多くの人が抱くのが、「なぜどんぐりは泣いてしまったのか」という疑問です。最初はどじょうの誘いに応じて無邪気に水の中で遊んでいたどんぐりですが、時間が経つにつれて急激な心理変化が訪れます。植物の実であるどんぐりにとって、水の中は見知らぬ異世界です。日常の安心基地であった「お山」から引き離され、自力では這い上がれない現実に直面した瞬間、強烈なホームシックと不安に襲われました。これが「池にはまって泣いた理由」の心理的構造です。
この歌が生まれたのは1921年(大正10年)のことでした。文部省図書監修官などを務めた教育者であり作詞者の青木存義(あおき ありよし)が詞を手掛け、東京音楽学校出身の名作曲家・梁田貞(やなだ ただし)が曲をつけました。同年に文部省が発行した『幼児教育資料』に掲載されたのが初出とされています。
文部省唱歌と童謡の歴史を紐解くと、当時の日本では大正自由教育運動が花開き、子ども向けの芸術運動(赤い鳥運動など)が急速に発展していました。青木存義は宮城県松島町の豊かな自然の中で育った自身の幼少期の記憶を重ね合わせ、自然への親しみと幼児の無邪気な冒険心を軽快なリズムに乗せて描きました。では、なぜ青木はどんぐりが泣きじゃくる2番で筆を止めたのでしょうか。当時の教育指針や記録から浮かび上がるのは、「あえて結末を描かないことで、幼児たちに『この後どうなったと思う?』と問いかけ、自由な想像力を引き出す」という明確な意図でした。