上杉謙信の馬上杯と酒豪伝説の真相|突然の死を招いた酒と塩の罠
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歴史ファンの間では「謙信は戦場を疾走しながら馬上杯で酒をあおっていた」と語られる場面が少なくありません。しかし、武具研究者や軍事史家の分析によれば、馬上杯の使い道は荒々しい乱闘中の飲酒とはまったく異なるものでした。戦国期の甲冑は重量が20キログラムを超え、手には堅牢な籠手(こて)を装着しています。平らな盃では手元が狂ってこぼれやすく、地面に置くこともままならない陣中において、足の長い高台を備えた馬上杯は、手袋をした片手でも指を絡めて確実に保持できる極めて機能的な器形だったのです。
上杉謙信の酒豪伝説の真相を探る上で欠かせないのが、本拠地・越後(新潟県)の過酷な気候条件です。春日山城と上杉謙信の逸話に登場する酒宴の記録を精査すると、謙信が酒を口にしたのは単なる快楽のためだけではありませんでした。日本海側の冬の行軍は、兵卒にとっても凍傷と隣り合わせの極限状態です。出陣の儀礼として神仏に捧げた御神酒を兵に下賜し、自らも適度に体温を上昇させて士気を鼓舞する「防寒具兼薬用」としての側面が極めて強かったと伝えられています。
一方で、謙信自身の酒の飲み方には特異な孤独の影がつきまといます。同盟関係にあった武将との社交宴席を除けば、謙信は家臣たちと車座になって騒ぐことを好まず、春日山城の奥深くで雪景色を眺めながら静かに杯を重ねる手酌の時間を愛したと『名将言行録』などは伝えています。直径がおよそ12センチメートル(約四寸)にも及ぶ馬上杯に満たされた地酒は、毘沙門天の信仰に身を捧げ、生涯不犯(妻帯しない)を貫いた孤高の指導者にとって、重責と緊張から心を解き放つ唯一の精神安定剤でもありました。