マクロン大統領と妻ブリジットの馴れ初め|24歳差の純愛と結婚の真実
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二人のただならぬ親密さは、狭い地方都市のアミアンで瞬く間に噂となりました。最初に騒ぎ立てたのはマクロンの両親でした。父ジャン=ミシェル・マクロン(神経科医)と母フランソワーズ(医師)は、当初息子がブリジットの長女ローランスと同級生であったことから、「息子の意中の相手は同年代の娘の方だ」と思い込んでいたと伝えられています。
しかし、息子の真の相手が3人の子を持つ既婚の女性教師であると知った両親の動揺は凄まじく、すぐさまブリジットの元へ抗議に向かいました。記録によると、母親は「息子が18歳になるまで近づかないでほしい」と激しく要求し、ブリジットは「私から何も約束することはできません」と涙ながらに答えたとされています。激怒した両親は、マクロンをアミアンから引き離すため、高校最後の学年を迎えるタイミングでパリ屈指のエリート校「リセ・アンリ4世校」へ強制的に転校させました。
事実上の追放処分となった17歳のマクロンは、パリへ旅立つ直前、ブリジットに対して後世に語り継がれる決定的な言葉を告げました。
「あなたが何をしようと、私は必ず戻ってきて、あなたと結婚します」
地方都市に残された主婦と、大都会のエリート養成校へ送り込まれた少年。常識的に考えれば、思春期の一過性の熱病として自然消滅するはずの距離でした。しかし、マクロンは毎日のように長距離電話をかけ、膨大な手紙を送り続けました。ブリジット夫人は当時の状況について「彼は粘り強く、忍耐強く、私の抵抗を少しずつ崩していった。それは何年にもわたる知的な包囲戦のようだった」と語っています。